2008,03,04, Tuesday
伊丹ラグビースクール会長垂先生追悼会
伊丹ラグビースクール会長垂先生が昨年亡くなられ、3月2日(日)午後5時より伊丹シティーホテルで追悼の会が行われ、乱武留魂太鼓を披露した。これは同スクール校長北薗浩良先生より報徳学園中学校副校長で報徳学園高校ラグビー部監督の西條裕朗先生を通して依頼をいただいていたことによる。
北薗先生は報徳学園ラグビー部OBで、以前のラグビー部監督前田豊彦先生が亡くなられたときに、同じく追悼の乱武留魂太鼓を見て大変感動され、「今回も是非あの感動を!」との思いで依頼なされた。
修学旅行で高校2年生が不在の中、高校1年生4名、高校3年生2名、そしてOB3名の編成であったが、大変素晴らしい太鼓を披露してくれた。初めて太鼓に取り組む部員もいるので不安もあったが、高校1年生は全体練習の他に2週間毎日昼休みに打ち込みをして力をつけた。
追悼会においては司会者の「以上で献花を終了します。」のことばに続いて「どぉ〜ん」と会場を揺るがす始まり太鼓。曲が進むにつれて太鼓を打つ手に力が加わり、参列者も固唾を飲んで見守っている。
合掌礼で単独演武が始まり、組演武、三人掛けと次々と繰り広げられる乱武。
最後は報徳拳林会の佐藤君と中田君の組演武。二人は祭壇に向かって合掌礼。その後は相対礼から迫力満点の有無を言わさぬ乱武が展開された。そして再び祭壇に向かってていねいな合掌礼、故人を偲ぶにふさわしい乱武を披露してくれた。
すべての曲が終わって合掌礼をしたとき、170人を超える参列者から大きな拍手が起こった。北薗先生の期待にも何とか応えることができたのではないだろうか。
垂先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。また、太鼓メンバーの皆さんには、素晴らしい太鼓を披露してくれたことに心から感謝します。合掌。
* 会の模様については、乱武留魂太鼓のスライドショーを含めて伊丹ラグビースクールホームページに掲載されております。同ホームページのURLは次の通りです。
http://www.itami-rs.jp/
創作和太鼓メンバー
高校1年生
佐川拳太郎 渡辺 龍 津馬清志郎 中条一樹
高校3年生
多養亮平 伊藤之将
大学生
枡谷興介
報徳拳林会
佐藤史典 中田勇輝
・・・・・
・・・・・
・・・・・
感動なき人生は空虚なり。つまり感動は素晴らしい人生のエッセンスなのです。太鼓メンバーにお礼のメールを送りましたところ、とてもていねいな返信メールをいただき、その中で打ち手にも大変な感動があったことを知りました。
長年に渡って少林寺拳法の修行に専念して大いに汗を流した結果として、人に感動を呼び起こすパワーが身についたのでしょう。中学校・高校生部員の皆さんはまず、学園生活に、そして少林寺拳法に全力で取り組んで下さい。
あの乱武留魂太鼓を見てくださった方も感動、一所懸命たたいたメンバーも感動。自他共楽の精神を、少なくともあの場においては実現できました。
これからも自他共楽の思想を貫くためには、しっかりと努力しなくてはなりません。最後に、東井義雄先生の力強いことばを引用します。
東井義雄先生のことば
生きているということは、
死ぬいのちをかかえているということ
静かに、平静に、しかし、確実に
その日が近づいて来る
雨がふってもブツブツいうまい。
雨の日には 雨の日の生き方がある。
悲しいこと、苦しいことを
泣き言の種にするのではなく、
自分を磨くことに役立てる。
つらくても、おもくても自分の荷物は
自分で背負って生きさせてもらう。
自分は自分の主人公。
自分をりっぱにしあげていく責任者。
この不思議ないのち
これを 今、生きさせてもらっている。
生きている 健康である
手が動く 足で歩ける
目が見える 耳が聞こえる
このあたりまえのことの中に
ただごとではない
しあわせがある
拝まない者も おがまれている
拝まない時も おがまれている
九(苦)を超えなければ
十の喜びに到り得ない。
眼にみえるものは、
眼にみえないものによって、
支えられている。
身近な人のご恩が
わからなければ、
真のしあわせには
めぐりあえない。
・・・・・
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感動なき人生は空虚なり。つまり感動は素晴らしい人生のエッセンスなのです。太鼓メンバーにお礼のメールを送りましたところ、とてもていねいな返信メールをいただき、その中で打ち手にも大変な感動があったことを知りました。
長年に渡って少林寺拳法の修行に専念して大いに汗を流した結果として、人に感動を呼び起こすパワーが身についたのでしょう。中学校・高校生部員の皆さんはまず、学園生活に、そして少林寺拳法に全力で取り組んで下さい。
あの乱武留魂太鼓を見てくださった方も感動、一所懸命たたいたメンバーも感動。自他共楽の精神を、少なくともあの場においては実現できました。
これからも自他共楽の思想を貫くためには、しっかりと努力しなくてはなりません。最後に、東井義雄先生の力強いことばを引用します。
東井義雄先生のことば
生きているということは、
死ぬいのちをかかえているということ
静かに、平静に、しかし、確実に
その日が近づいて来る
雨がふってもブツブツいうまい。
雨の日には 雨の日の生き方がある。
悲しいこと、苦しいことを
泣き言の種にするのではなく、
自分を磨くことに役立てる。
つらくても、おもくても自分の荷物は
自分で背負って生きさせてもらう。
自分は自分の主人公。
自分をりっぱにしあげていく責任者。
この不思議ないのち
これを 今、生きさせてもらっている。
生きている 健康である
手が動く 足で歩ける
目が見える 耳が聞こえる
このあたりまえのことの中に
ただごとではない
しあわせがある
拝まない者も おがまれている
拝まない時も おがまれている
九(苦)を超えなければ
十の喜びに到り得ない。
眼にみえるものは、
眼にみえないものによって、
支えられている。
身近な人のご恩が
わからなければ、
真のしあわせには
めぐりあえない。
| 報徳少林寺乱武留魂太鼓 | 09:45 AM |